「虫とりに公園に行くんだ。またね。」
と返しました。
通り過ぎた後、長男に、なんで何もしゃべらなかったのか聞いてみると、
「ぼく、どうもしてないから。答える事ないし。」
と言いました。
この場合の「どうした?」は、「どこに行くの?」とか「何をしているの?」という意味だと私は解釈しました。
ですので、そのように長男に伝え、「虫とりに行くんだ。」とか、「公園に行くんだ。」って返せば良かったんじゃない?とアドバイスしましたが、逆になんで?と聞かれてしまいました。
将来への不安
まず、声を掛けられたら、言葉を返そう。何でもいいから。「おう!」だけでもいいし。
とその場では話し、公園に行きましたが、先々がとても不安になりました。
今はまだ、小学生だから相手もいちいち気にしませんが、高学年になり、中学高校になると、今の長男のコミュニケーション能力では明らかに友達がいなくなるのでは、と不安になりました。
実際問題として、これからの未来、友達関係が難しくなってくるのは否めないでしょう。
私も親として覚悟はしています。
その時がきたら、一緒に解決できるよう、また長男の負担が減るような対策や行動を起こしたいと思っています。
こういう、ほんのちょっとした事ですが、これがまさに発達障害だなと感じる事です。
今回のこの出来事を次男に話した所、「気持ち悪いっ!」と言われてしまいました。
何もしゃべらず、じっとこちらを見て通り過ぎる人がいたら、確かに気持ち悪いですよね。
何なんだ??と私も思うと思います。
本当にわからないという事
しかし長男に悪気はないのです。
本当にわからないだけ。だから私がアドバイスをしたり、次男が感じる事を言ったりすると、空気が読める事ってすごいんだな、と長男には感じるようです、。
だからといってわかるようにならないのも発達障害。
残された道は、人の顔色や言葉の端々から状況を把握するしかありません。
経験を積んで、パターンを覚えていく中で、少しずつ何か気づいていく事があれば対応策を考えていく事が出来るのかもしれません。
長男はよく、全く知らない人達がたくさんいる所に行くのは嫌だといいます。
例えば、習い事をしている将棋の大会で、知らない子供達がたくさんいる中で、初対面の人といきなり将棋を指すこと、人がたくさんいる電車に乗る事、クラス替えやキッズスペースなどです。
これは、空気感が全く読めない上に、言いたい事もうまく話す事や聞くことが出来ない長男にとっては、これ以上ない位、居心地の悪い所なのかもしれません。
ちょっと聞いてみる、ちょっと声を掛けてみる、といった何でもない事に私では想像のつかないくらいの労力と勇気と不安が入り混じっているのでしょう。
今、私に出来る事は、出来るだけその場に適していると思われる発言や行動を教えていくだけなのかもしれません。
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