発達障害の人は、幼少期、言葉が遅れていたとか、言葉通りに受け取って勘違いしてしまうとか、うまく言葉で話せない、独特な話し方など特徴として言われている事がありますよね。
長男も例外ではありませんでした。
今、例に挙げた3つは全て当てはまりますし、長男から出る言葉もストレートでダイレクトな表現を投げかけてきます。
‘言葉’とは、自分と他者が共通認識を持って共有する上で必要なもの。または、自分で自分を理解するために、自分を表現するために使うもの。
ですが、一番はやはり他者との関わり合いで一番必要になってくるものでしょう。
人間は一人で生きているわけではありませんから、コミュニケーションが必須になってくるという点で、言葉がとても大事なことになってくると思います。
初めて会話をしたと感じた日
発達障害の長男、4年生の冬休み、学期ごとに行っている療育の診察で、医師と初めて‘会話’をしました。それまでは、医師が質問をしても、「知らない」「わからない」で9割方の回答を済ませていました。自分の言葉で話をする事は、長男にとってはものすごく難しい事でした。聞かれた事を答える事は出来ても、理由を説明したり具体的に話したりする事は全くという程できなかったのです。
なので、今までは、話が発展していくような‘会話’にはなっていませんでした。質問の意味はわかっていたと思います。
おそらく、考えている思考をうまく整理して言葉として表現する事が難しかったのではないかと思われます。それを、知らない、わからない、と答えていたのでしょう。もう、会話について私もあまり期待してもいなかったし、望んでもいませんでした。
しかし、その日は突然やってきました。診察室に入り、椅子に座り、質問に具体的に答える姿を見た時、初めて家族以外と会話をしている長男にとてもとても感動しました。動画に撮っておきたいくらい、今までとは違う長男でした。「喋っている」と思いました。
その後、長男は診察室の外で待っていてもらい、私と医師で話をしました。医師の見解では、今までの療育や長男の遅れていた成長が追い付いてきた事で、会話になったのだろうという事でした。発達が追い付く、と言われても、もう4年生なんですけど、と思ったのですが、4年生でもなんでもいい、私や家族以外の人と会話が出来るようになった事がとてもうれしく感じました。
言葉が遅かった幼少期
発達障害の長男は、幼少期の頃、言葉を話し始める時期は遅かった方だと思います。2歳半まで保育園に行っていたのですが、2歳を過ぎると、周りのお友達は短い文を喋っていた事に驚きました。お母さんや先生と、‘会話’をしていました。
長男はまだ、聞かれた事に答える、自分の欲しい物を言う、位だったのですが、文章を喋っているような記憶はありませんでした。そして、長男とは‘会話’になっているとはあまり感じませんでした。話が発展しないのです。
それでも私は、絵本の読み聞かせも毎日のようにしていたし、伝わらなくてもかなり話しかけていた方だと思います。次男も赤ちゃんだったし、長男には何かとお願いする事も多く、コミュニケーションとしての会話は少なくはなかったはずです。
こちらからの問いかけに対する答えが、あまりにも的外れな事も多々ありましたし、「子供なんだからそんなもの」とくくってしまえばそれまでなのですが、保育園のお友達のような受け答えではなく、お互いに質疑応答、のようなコミュニケーションでした。そんな感じでも、検診でひっかかる事もなく、何か違うと思いながら発達障害には気づかない生活が続き、私も長男も意思の疎通がうまくいかない日々が、後々私の精神面に負担になっていくわけです。
今思えば、どうして検診で気づかないのだろうと思いますが、一番早期発見につなげてほしい検診で発達障害に気づく事は、まだまだ難しいのが現状なのでしょうね。
「わからない」と「知らない」で答えていた日々
その後、発達障害がわかってからも、知的に言語の遅れが見られたわけではなく、言葉としてうまく話せない状態は続きました。
例えば、「今日は幼稚園で何をしてきたの?」と質問をしても、「知らない」という答えが返ってきます。「今日は幼稚園で何の歌を歌ったの?」「今日は幼稚園で何の工作をしてきたの?」と聞くと、歌の名前や作った制作の名前を言いますが、それ以上の事は何も話しません。質問し続けないと話が続かず、応えられるような具体的な質問を繰り返し、様子を少しずつ知るような感じでした。
しかし、男の子の場合、健常の子であっても、答える事が面倒で「知らない」という子が多いそうなんです。
では、何が違うのか。
これは今まで私がいろいろと調べたり聞いたり体験してきて出した私なりの見解なのですが、発達障害で「言葉がうまく出ない」「話せない」というのは、話せない事によって困るのか困らないのか、というところが重要になるような気がしています。
例えば、長男の例で話しますと、次のような事がありました。
幼稚園の年長のお遊戯会で、セリフを覚えられませんでした。1言ずつのセリフが4つくらいしかない、簡単な役でしたが、セリフをただ覚える事が出来ず、先生に怒られました。
「セリフの意味がわからない」「セリフが覚えられない」とは先生に言えず(怒られるから)何も言わずに一人で困っていたようでしたが、セリフも言わない(意味がわからないから言えない)、何がわからないかわからないから先生にも何も言えない、そして先生にまた怒られるという悪循環を繰り返した末に、見かねたクラスメイトの子が私にその様子を教えてくれました。
困って泣きそうになってるのに、みんなの前で先生に怒られてるよ。
先生に聞いてみたら、セリフを覚えてって言ってるのに覚えてくれないんですと先生も困っていました。
こういう状態になるのが、発達障害なのかなと私は思っています。
結局、このお遊戯会の時は、私がセリフを情景の絵とともに、セリフも絵で表現したものを作り、家で練習したところ、2時間もしないうちに覚える事が出来ました。
他の子とは同じ方法では覚えらない、他の子とは同じ説明や指示では伝わらない、そしてわからない事を伝えられず、双方が困ってしまう状況が起きてしまう事が発達障害と判断される要因の1つではないかと思っています。
あまりにもたくさんの情報にあふれている思考
同じような状況は、小学校に入ってからも多々ありました。先生が、わからない事はないか、困った事はないかと毎日毎日聞くようにしてくれて、少しずつ言う出来るようになりましたが、4年生になった今でも、学校に行けなくなるくらい精神的負担がかかってから、ようやくその原因を話し始める事が出来たりしているので、言葉で表現していくことはまだまだ難しい事のようです。
この、話せない、言葉で表現できない事をなんとか解明できないかと思い、私が試してみた事は、1つのテーマに関しての情報を全て書き出してもらう事でした。例えば、「頭にきた」(怒っている)を説明しようとする時に、今、何を思い、何を考えているのかを全て紙に書いてもらいました。書き出すことで目に見えるので、視覚優位の長男にはわかりやすいかもしれないと思ったからです。
そうすると、あまりにもたくさんの情報が紙に書き出されました。今、頭にきて怒っている事に関係のない情報まで、芋づる式に次々に出てくるのです。書いてもらったことを、時系列やカテゴリにわけ、今、一番伝えたいことから順番に優先順位をつけてもらい、自分の言いたいこと伝えたいことを長男自信も把握していき、まずは一番伝えたいことだけを伝えていく。そのような訓練をことあるごとにやっていきました。そうすることで、自分の気持ちを言葉に変換する訓練と、アウトプットして人に伝えていくことで、1人で困るのではなく、解決していく方向に持っていくことが出来るという経験を積んでもらいました。
話せるようになると
この情報があふれている事に関しては、ADHDや他にも要素があるかもしれませんし、言葉として表現できるかできないかに関しても、いろいろな要因があるでしょう。しかし、長男のように何かをきっかけに、発達が後押しをして話すことが出来ると感じる日がくることは間違いありません。
現在長男は、簡単なプレゼンをする事も出来るようになりました。相手を説得するために駆け引きをするようにもなりましたし、相手が悪い時には、その証拠を説明する事によって自分の正当性を訴える事も出来るようになりました。探偵のように相手を追いつめていく様は、幼少期の長男とは思えない程の別人に見え、成長が遅れていただけなのか、もはや先に成長していってしまっているようにさえ見えてきます。
長男の場合、家でのトレーニングや療育、通級、担任の配慮、などいろんなことが影響を与え、話すことが出来るようになったのだと思います。独特な表現や、言葉通りに受け取るあたりはまだまだトレーニングが必要ですが、やはり個人の特性に合わせて考えていけば、自分の言葉で伝えていくことは出来るようになると思います。