健常者への理解を広めたい~発達障害は存在しないのか~

ネットを見ていたら、「発達障害は本当に存在する事なのか?」という内容の質問を見かけることがあります。正直、とても驚いてしまいました。しかも同じような質問だったのですが、結構な件数がありました。私は、長男が発達障害であることに疑いを持った事もなく、いろいろと考えてしまいました。

なぜ、発達障害は存在しないと思うのか

発達障害の認知が広がってきたとはいえ、今でもネットでは発達障害=病気という認識があるようですね。私は、発達障害は脳機能の問題だと思っているので、病気ではないと思っています。病気は基本、治る事を前提に治療をしますが、発達障害は発達だから治るという概念ではない。これから発達していくところと、特性として治るという表現が適さないものがあると思っています。
しかし、発達障害は病気だと思っている人はまだまだいると思います。身近に発達障害の人がいなければ、知りようもないし、病気の1つだと思うかもしれないのは当然の事だと思います。認知度の高い病気でなければ、私達も全く知らないのと同じ。全てを把握することは難しいし、する必要もないと思っています。
発達障害が存在しないと思っているのであれば、その人はそれでいいでしょう。しかし、これからの時代、発達障害は花粉症と同じ位、身近な存在になっていくような気がしています。そして子育てや教育といった面でも避けては通れない存在になってきているとも思います。

健常者の無理解が当事者とその家族を苦しめる

例えば、発達障害である長男のことは、理解しようと努力していますし、最大の理解者でありたいと願っています。しかし、長男と深い関わりがない場合、見た目ではわからない発達障害の特性は、それまで発達障害の人との関わりがなかった人達にとっては理解できるものではないでしょう。メガネの不便さはかけて過ごさなけばわからないし、出産の痛みは出産した人にしかわからない。車椅子生活の人の大変さと社会の環境は、車椅子で生活している人と介助している人しかわからない。癌になった人にしか癌の苦しみはわからない。例を挙げたらキリがないのですが、当事者にしかわからないことは多々ありますよね。
わからないのに非難をしてくる人がいる事は知っています。同時に私にはわざわざ非難してくる人の気持ちがわかりません。知りもしないのに否定してどうしたいの?と思ってしまうのですが、逆に非難をしてくる人には非難をする人の苦しみがあるのかもしれません。
発達障害なんてものは存在しない。そんなものは甘えだと言うことで、自分の存在意義を提示しているのかもしれない。そう考えると、おあいこだな、と思えました。発達障害は確かに存在すると考える私と、発達障害は存在しないと考える誰か。プラマイゼロでつり合いが取れてますね。世の中は均衡を保っている訳ですから、ちょうど良いのかもしれません。

個々を認めることから始めると

自分の考えとは違う、反対意見を目にした時、それは違うのでは?と思ってしまいますよね。もちろん、そう思うことに間違いはない。その人が思った事、感じた事は確かにそこに存在したわけですから。同時に、反対側では反対意見を発した人が思った事、感じた事はその人側に存在しているので思っている事に間違いはないわけです。
まずはその考えを受け入れる。そこから始める事が個々を認めて受け入れていくということではないのかと思いました。相手を否定するのではなく、あなたはそう思ったのですね、でも私はこう思いました。と言えばいいのではないでしょうか。それを間違っているとか正しくないとか否定してしまうと、相手も否定してきますよね。
よくネットで見る論争はこんな感じで始まってしまうので、お互いがお互いの意見を受け入れた上で、必要であれば討論していけばいいのかもしれません。
発達障害という言葉を知っていて、思う事が世論とは違っている人がいる。それを認めて受け入れていくという事は、相手側も(可能性は低いですが)発達障害を正しく理解してくれるきっかけになるかもしれません。

認知を広めるということ

発達障害という言葉や理解が、今後、一般常識になっていくかもしれない。私はそう思っています。そうなってくれたら、幼少期からの早期療育(教育)も可能になり、学校生活も今よりもずっとずっと良い社会になるかもしれない。
まずは正しい発達障害の事を知識として知ってもらう。
そこが健常者の無理解による二次障害への発展を少なくしていけるのではないかと思っています。

ABOUTこの記事をかいた人

2人の男の子を育てている主婦です。(現在小4と小1) 長男が発達障害のため、ちょっと変わった子育てをしています。 今年から次男が小学校に入ったので、少しずつ自分の時間が持てるようになりました。 そんな私のちょっと変わった子育てのお話を紹介致します。