理解されない発達障害の苦しみとは

みなさんは、自分のことをよく理解できていますか?
自分のことなんだからわかるでしょ、と思いがちですが、私は自分のことを深く理解し始めたのは大人になってからです。
自分はこう思う、自分はこうしたい、自分はこれが好きだ、ということは意識してわかってはいるけれど、自分の考え方の癖や無意識で言ってしまうこと、考えずに行動してしまうこと、知らない間に変わっていったことなど、実は自分でも自分のことを完全には理解していないと思うのです。
だから心理学テストや深層心理、哲学というようなもので、気づいていない自分に気付くことが面白く感じたり、より知りたいと思ったり、自分を好きだったり嫌いだったりすると思います。
自分のこともよくわからずに、他の人を理解するということは、ことさら難しい。わかろうと思っても、なかなかわからない、理解できないことはたくさんありますよね。
好きで一緒になったご主人のことでさえ、わからない部分がある。
だから魅力的なのかなと、わからないところや理解できないところも含めて、全て受け入れようと日々生きている小さな社会が家族だと思います。
親だから子を理解できるわけでもなく、子だから親を理解できるわけでもない。兄弟でも夫婦でも友達でも理解できないところが必ずありますよね。
言っても伝わらないこともあるし、うまく言葉で表現できないかもしれない。でも言わないと余計に伝わらないし理解もされない。
普通に生きている人でさえ、人を理解することはとても難しく、だから人に魅了され引き込まれ興味をもっていくと思います。

そもそも人を理解することは難しい

しかし理解されていない、わかってもらえない、という気持ちがあると、とても残念ながっかりした暗い気持ちになってしまいませんか?
わかってもらいたい、認めてもらいたい、という欲求は誰にでもあり、受け入れてもらえて自分が存在していてもいいと言われているような、そんな気持ちになってしまいませんか?
きっと誰にでも同じような思いはあり、わかってくれている人が1人でもいれば、日々の気力につながって頑張ろうと思えるような気がしています。
発達障害と言われている人達は、特性がいろいろあり、‘普通なら’‘一般的には’と言われる数々の行動とは違う行動をすることが多いため、とても理解されにくいと思います。
発達障害の人本人を含め、関わっている親兄弟は、周りの人達の何気ない言葉に理解されない苦しみを感じ、傷ついています。
人はみんな違うのに、1人1人みんな違うのに、発達障害の人達の特性はなぜか迷惑に感じられることが多く、悪いイメージを持たれ、直す方向へ考えられがちです。
特に子供の場合は、先入観も固定概念もまだ作られていないので、言われたことを素直に受け取り、自分が悪いような思いをしてしまいがちです。
親も理解されない言葉を何度も言われているうちに、自分のせいだと思いがちですし、周りも親のせいだと思いがちだと思います。

理解してもらえないとやっていけない発達障害の特性

人と人が関わって生きていく中で、人の個性を理解し、受け入れ認めていくことは、どんなに小さな社会でも必ずやっていることだと思います。
私個人の考えではありますが、おそらく理解されていないのは発達障害だけではないと思います。
発達障害に限らず、本人の思っていることは本人にしかわからない。
その中で少しでも共通項を見つけて共感していくことで分かったと思う、共感だと思う、同情だと思う、でも本当はわかっていることはとても少ない気がするのです。
健常の人はわかってもらえなくても何とかうまく自分の感情を処理できて、周りと同じ行動をとれて、何となくの空気感を察して自分の立ち位置を決めていく。
そういうことが苦手な発達障害の人はうまく立ち回れなくて目立ってしまう。
パニックを起こしてしまう。
そういう神経回路と行動が理解できずに本人も周りも困ってしまうので、発達障害と呼ばれ、嫌煙されてしまう。
もしこの世の中の9割の人が発達障害の人と同じ特性であれば、逆に問題にはならずに健常者の人達の特性が理解されない方になってしまう。
ただそれだけのような気がしています。

多様性を受け入れる社会を目指すために

社会にいると、迷惑をかけないことがいいという雰囲気がありますよね。
もちろん、迷惑にならないに越したことはありませんが、迷惑という言葉の概念も人それぞれです。
差別や偏見など関わりのある事柄はたくさんありますが、多様性を受け入れるということは、どんな特性の人がいても、まずは「この人はこういう人だ」と素直に受け入れていくことから始まるのではないかと思います。
できたら、そこに自分を含めた社会の経験や概念や常識というフィルターを通さずに、見たもの聞いたものそのままを受け入れていけたら、理解されない現状は減っていくと思います。
それは発達障害であろうとなかろうと、方法は同じです。
発達障害だから理解されないのではない。個人個人を認めて理解しようと思っていないから理解されないのではないかと思います。
出る杭は打たれるという言葉があるように、横並びに同じような個性の人ばかりの社会ではなく、人それぞれの個性や特性を存分に発揮できるような、そんな社会に変わっていってほしいと思います。

ABOUTこの記事をかいた人

2人の男の子を育てている主婦です。(現在小4と小1) 長男が発達障害のため、ちょっと変わった子育てをしています。 今年から次男が小学校に入ったので、少しずつ自分の時間が持てるようになりました。 そんな私のちょっと変わった子育てのお話を紹介致します。