しつけと暴力について、どこからが虐待?

しつけと虐待

子供が約束を守らない、危険なことをする、ふざけてばかりいる、話を聞かない、反抗的な態度をとる…そういう時、つい発作的にパシン!と手をあげてしまうこと、ありますよね。しつけと言えばしつけだし、でも暴力といえば暴力。叩いてしまった後で、これって虐待?と悩むママたちも少なくないはず。では、しつけと虐待の境界線はどこにあるのでしょうか。

躾、とかいてしつけと読みます。外で恥ずかしい思いをしないよう、美しい所作を身に付けさせるという意味からきているのでしょう。そうかんがえると何だか美しく、素敵な言葉に思えてきますね。

しかし実際に子供にしつけをするのは、簡単なことじゃありません。今は昔ほど「親の躾がなってない」なんて言われることはなくなってきたかもしれませんが、子供が世間的マナーを守れずにいると、親が痛烈な非難をうけるケースはまだまだあります。

一方で、しつけのために叩いていると虐待しているんじゃないかしら?と思われそうで怖いという方もいるでしょう。家ではついパシン!と叩いてしまうけれど、外出先だと悪いことをしてもなかなか叩いてしつけ、というのはやりずらいですよね。

しつけの定義

ではそもそも、しつけとは何でしょうか。辞書には「礼儀や作法を教え込むこと」とあります。私が思うに、しつけは子供が家の外で過ごすとき、他人に迷惑をかけたり、他人を不快にさせたりするような行動を取らないように、社会のマナーやルールを学ばせる事のように思います。

例えば、公共の場所では静かにとか、共同で使うものは大事にする、食事の際は一緒に食べる人が不快な印象を持たないように最低限のマナーは守るとかいう、という類いのことを学ばせるために注意したり怒ったりするのは、しつけだと言えます。

また、人としての道徳を教えることもしつけの1つかもしれません。人の嫌がる事はしない、約束は守る、真面目は話は真面目に聞く、自身や他人を危険にさらす行為はしない、お世話になったら感謝を忘れず、失態をしたらきちんと謝る、等々。

しつけは、親や周囲の大人が、子供が成長して社会に出たときに、社会の中で困らずにやっていけるよう、周囲の人と円滑に過ごし助け合いながら生きていけるよう、その術や決まり事を教えることなんじゃないでしょうか。

それを教える際に、つい手が出てしまったとしても、虐待とは思えません。友達を叩いてしまったら、同じ痛みを感じさせるという方法が有効なこともありますしね。また、危険なことをしたらはっきりと、絶対にしてはいけないことと心と体に刻ませる必要もありますから、体罰が必ずしも悪いとは言えないでしょう。

虐待の定義

一方虐待はどうでしょうか。虐待と一言で言っても、その形態は暴力だけではありません。全く世話をしない放棄型虐待(ネグレクト)、性的な行為を強要したりする性的虐待、子供の存在を否定するような事を言う言葉での虐待、日々DVの現場を見続ける事による心理的虐待というものもあります。

体に跡の残らない心理的虐待は周囲にも気づかれにくく、子供が1人で抱え込み、一生トラウマから逃れられず苦しむケースも少なくないそうです。一方物理的暴力による虐待であっても、テレビドラマで良くみられるように、親が隠したり子供に口止めしていたりしているために、見過ごされてしまうこともあります。

虐待による暴力の場合は、その痛みによって子供に何かを学ばせたいという意図からでなく、力によって相手をコントロールし服従させることが目的です。親のイライラの矛先を子供に向けて、八つ当たりで殴ったり蹴ったり、またひどい言葉を浴びせかけて、虐げることで自分の強さを証明したいという気持ちの表れともいえます。

しつけと虐待の境界線


しつけと虐待、このように比較すると全く別物のように思えますが、実際には専門家ですらその線引きは難しいのだといいます。傍からみると虐待とまではいえないことで悩んでいる方もいれば、どうみてもやりすぎなのに、しつけと言い張る親もいる。

確かに、いくら最初はしつけのためにと思っていても、子供の体に明らかな痣や傷ができるほどの暴力は、その域を超えていると思えます。子供の安全を脅かすような行為をしたり、心理的に深い傷を負わせてしまうような場合もそうですよね。

しつけは子供のためにしていること、虐待は親の都合でなされること、というのは簡単です。でも、親が子供のためと思ってやることが、必ずしも子供が望んでいるわけではありません。

子供は何かを必死に訴えているのに、「こんなに親のいう事を聞かない子だと将来困るから!」といって暴力で服従させようとしたり、「あなたのために私は自分を犠牲にしてやっているのに!」と思い通りにならない子供に体罰を与えたりするのは、もうしつけとは呼べない気がします。

イライラしてつい…これは虐待?乳児の場合。

一方で、子供はさほど悪くないのはわかっていながら、ついイライラして手をあげてしまったけれど、怪我をするほどでもなく、また日常茶飯事というわけでもない場合はどうでしょうか。暴力は暴力かもしれませんが、明らかな虐待とはいえないケースです。

例えばまだ子供が極小さい赤ちゃんだったとして、いくらあやしても泣き止まず、夜中も何度も起こされて、お母さんはクタクタ。お母さんが悪い訳じゃないけれど、赤ちゃんに責められているような気がして、ダメな母親だと自己嫌悪するあまり、気が狂いそうになる。その時、完全に理性を失って発作的にあかちゃんを強くつねったり、ミルクを与えなかったり、しかもそれを日常的に繰り返す場合、これは虐待ですよね。

一方、ある程度理性を保ったまま、赤ちゃんを柔らかい布団にぼんっとほおり投げてしまった場合。赤ちゃんは泣きますが、もちろん安全を確認した上でやっているので、怪我はありませんし、ただ一度きりで、その後悔してきちんと抱きしめてあげる。これも虐待でしょうか?

相手が赤ちゃんだと、しつけも何もありませんから、定義によるとどちらも暴力による虐待になってしまいます。けれど、後者を虐待と決めつけてしまうにはちょっと抵抗がありますよね。

ABOUTこの記事をかいた人

30代後半、10歳と5歳の男の子の母です。 平日は、子供を学童と保育園に預けてパートタイマーとして働いています。慌ただしいながらも頑張りすぎず、気楽で楽しい育児をモットーに、賑やかで幸せな日々を送っています。