発達障害である、ASD(自閉症スペクトラム症)である、というとマイナスのイメージを持たれてしまう事が多いのはなぜなのでしょうか?
最近では発達障害の認知も広がり、知識としてその名前だけは知っている、という人も増えてきています。
しかし、イメージはというとあまり良くないのも現実。
本人にも周りにも困りごとが多く、その対応・対処にとても困っているという話をよく聞きます。
子供の場合は、早期療育が大事、という風にも言われています。
発達障害は生まれつきの脳のしくみが違うだけ。発達障害の当事者のせいではないし、育てた親のせいでもない。
なのに良くないイメージが多いのはどうしてなのか、発達障害である長男を育ててきた親として、感じたこと、思ったことをお伝えしていきたいと思います。
困っているから発達障害
そもそも論で言えば、当事者や周りで接する人が困っているから発達障害なのですが、「困っている」という状況にいいイメージはないので、発達障害にいいイメージがあまりないのも不思議ではないのでしょう。
そういう私も、長男が発達障害であることがわかった時は、お先真っ暗状態になりました。まだ、発達障害の事は何も知らないのに、長男の未来が暗く見えたのです。
なぜ、暗く見えたのか。
- 発達が遅れているということ
- コミュニケーション能力(社会性を含め)が低いということ
- 発達障害は治るものではないということ
- 先の見通しが立たないということ
- こだわりがあって生活に支障がでるということ
簡単ですが、さっと思い返しただけで、この辺りのことに猛烈な不安を感じていました。
子育てとは、‘自分で稼いでメシを食っていける人間にすること’が最低限のミッションだと思っている私は、仕事=会社で働く、という図式が成り立っていましたので、先の見通しが立たずにコミュニケーションに苦手さがある時点で、会社で働いていくにはとても不利になってしまうと思い込んでいました。
実際、うまくやっていけずに仕事が続かない人もいるようですし、雇う側としても配慮が必要になってくるので、そんなに簡単なことではないということはわかります。私も働いていた頃は、仕事を教える立場にいましたので、なかなか話が噛み合わなかったり、伝わらなかったり、勝手にルールを変えて行動されたりして困った事も何度もありました。会社の場合、ほとんどの会社に社員がいて、みんなで同じ方向を向いて仕事をしていかなければいけないので、場の空気や暗黙の了解、会社の風習や付き合いなど、発達障害の人には困難に感じてしまう場面が多々発生してしまう事もよくわかります。
長男が大人になった時、コミュニケーションが取れないと、会社の方に迷惑がかかってしまう、と私は思いました。またADHDであるがゆえに、重要な事を忘れたり、物を失くしたりもするのだろうと勝手に想像してしまったり、ASDなので人の気持ちがわからずに失礼なことを言ってしまったりもするのだろうと、悪い方へ悪い方へ考えては、長男の未来を暗く考えていました。
私の想像は、おそらく会社に就職すれば現実になってしまう可能性はかなり高いと思います。
しかし、ある時、根本から考え直してみることにしました。
会社に就職するだけが仕事じゃない
なぜ私は、大人になったら会社に就職をすることを前提に考えていたのでしょう。おそらく、一般的な考え方が、大学を卒業後は企業へ就職、という道だからだと思います。
自分の子供が一般的な脳のつながりをしていないのであれば、一般的な道ではない道に行くべきではないのか、と、ある時突然思いついたのです。
子を持つ親として、生まれたばかりの時は、「元気で健康に過ごせますように」という願いしかなかったのに、大きくなればなるほど、勉強も出来なきゃ、運動もしなきゃ、お手伝いもしなきゃ、本も読めなきゃ、と、どんどん出来なければいけない事を大人が増やしていきますよね。
時期が来たら学校に行って勉強をして、卒業したら上の学校へ進学して、学校が全部終わったら就職して。極論になりますが、この通りである必要は全然ないんですよね。現代の学校システムになった過程は重々承知しています。承知している上での敢えての疑問です。
「みんな違ってみんないい」という歌が流行っておきながら、みんな同じ方向に進むことを良しとしている現実。なんか矛盾してるな、って思いました。
いっそ、エジソンのように、トットちゃんのように、その他の偉人の子供時代のように、普通とはまったく違う生き方だってあるんだよね、と思ったのです。
しかし、とっても勇気のいることです。行けるなら、小学校に行ってほしい。行けるなら中学にも高校にも大学にも行って欲しい。就職は会社じゃなくていいから、自分で生活が出来るレベルで稼げるようになってほしい。
これは私の願いです。周りの人の想いです。別に長男本人が望んでいるわけじゃない。
なのに周りがみんなと同じであることを望んでしまうから、当人たちが苦しくなってしまうのではないのでしょうか。とはいえ、最終的には一人で働いていかなければいけません。雇われるのかフリーとして働いていくのか、どちらにしても最低限のコミュニケーションは必要になってくるでしょう。
新しい社会は作れないのか
現代はネット社会なので、顔を合わせなくてもネット上で出来る仕事もありますし、新しい世界を作っていけるのも発達障害の人達の得意分野かもしれません。
健常者が作った社会のシステムが今の現代ですが、発達障害の人達が新しい社会のシステムを作る事ができれば、発達障害の人達は困らずに済むのかもしれません。
新しい働き方を作り、提案していくことで、これから発達障害の人達が働いていく新しい場を提供できるかもしれません。
相手の気持ちがわからないから、コミュニケーションが苦手だから、仕事が長続きしないから、と頑張っても難しいことで生きていこうとしないで、自分のやりたいこと、興味のあること、やってみたいことにチャレンジしてみたらいいのではないかと思うのです。
無責任かもしれません。簡単に言われたくないかもしれません。でも可能性はゼロじゃない。可能性はあると思うのです。
自分の興味のあることには、圧倒的な集中力を持って突き進んでいけるその特性を活かして、未来に進んでいけるのではないでしょうか?
何事もやらないよりはやった方がいい。やらずに後悔するよりはやった方がいい。発達障害であること、ASDであることをむしろ誇りに思って、一般的ではない道を切り開いていくことができるのもまた、大きな強みだと思うのです。そして自分の人生が終わる時に、いい人生だったと思えるような、悔いのない人生にしてほしい。
もちろん私もそう思える人生を送っていきます。長男を含め、発達障害であるみなさんにしか出来ないこと、健常者には出来ないことに、ぜひチャレンジして取り組んでいってほしいです。その未来には、発達障害のイメージが暗いものではなく、明るいものであることを願っています。