家族って何でしょうね。
何言っているの?と言われそうですが、家族とは何なのか?疑問に思ったことはありますか?
私にとっての家族は、自分・夫・子供・そして自分の親兄弟。同居していてもいなくても、家族はずっと家族ですよね。
生まれてきてから最初に受け入れてくれる存在であり、甘えられて、わがままを言えて、世話をしてもらう。共感や同情、人間の持つ様々な感情を体験し、芽生えさせてくれる存在であり、変わることのない居場所です。
発達障害の特性を持つ人にとって、安心できる居場所がある、ということは落ち着いた生活をしていく上でとても大切なことです。
家という場所での居場所、心のよりどころとしての居場所、どちらも必要だと思いますが、その最初の居場所になれるのが家族だと思っています。
‘家族だから’という固定概念は捨てる
発達障害の人と関わる人すべてに求められることの基本として、‘ありのままの当事者を受けいれる‘というのがありますね。
この‘受け入れる‘ということ。思っている以上に難しいことです。ちゃんと‘受け入れています‘と思っていても、意識しないと受け入れている状態にはなっていないことが多い気がします。
夫婦なんだから、親なんだから、兄弟なんだから、家族なんだから、といっても全てを受け入れることはなかなかできません。夫婦であっても、親であっても、兄弟であっても、家族であっても、理解できないことも納得がいかないこともたくさんあります。わかってもらいたくてもわかってもらえない。そんな複雑な思いも、家族であってもわからないことはありますから。
家族だから、受け入れなければいけない。理解しなければいけない。ということではなく、理解できなくても、わからなくても、家族だから一緒にいられる。
ご飯を食べて、お風呂に入って、テレビを見て、寝る。挨拶をしたり、会話をしたり、一緒に泣いたり笑ったり怒ったり。
いろんな思いを持ったまま、処理しきれなくて泣いてしまっても、うれしすぎてはしゃぎ過ぎてしまっても、誰かに褒めてもらいたくて、自慢しても、家族なら許される。そういう風に心をゆるしあえる場所が、居場所になるのかな。と思います。
家以外での居場所があるということ
家族が居場所になれば、一歩家から出て、社会の中に入っても、帰る場所があるので頑張れる。というのはありますよね。
学校や仕事の場所にも、自分はここに居ていいんだ、と思える場所があることは、新しい事にチャレンジしていく原動力にもなると思います。今日も、明日も頑張ろうという気持ちになります。
発達障害の人は、いろんな感覚が過敏のために生活の様々な場面で気になってしまうことがたくさんあり、外での生活は落ち着かない時間をわざわざ過ごすようなもの。そんな時、クラスの友達であったり、保健室や屋上などの特定の場所、会社のデスクなど、ここは自分の居場所だと思えるところがあれば、心の安定につながりますよね。
ずっと家族と一緒にいられるわけでは当然ないので、外に出たら自分で見つけていくしかないのです。‘自分はここで生きていく’という場所を見つけることができたら、本当の意味で自律して生きていけると思うのです。
自分で居場所を見つけられたら
発達障害の人が、発達障害を理由に何かが出来ないと思わないでほしいです。自律していれば、例え配慮や介助が必要でも自分の人生を生きていけると思うのです。‘出来ない’と思うことがあるとしたら、きっとやり方が違っていたのでしょう。
居場所を決めることができたら、そこを軸に回りが見えてくるはずです。
出来る方法が必ずある、とあきらめないで挑戦してほしいですね。
発達障害と家族、という言葉を聞くと、家族ばかりが大変な思いをしていると思われがちですが、実際はそんなことはありません。
多少、普通ではない事柄に対処しなければいけないことがあり、理不尽だと思うことや納得のいかないこと、言葉では説明できない様々な感情が、普通の家族より多くあるだけです。
そして、普通の家族よりもネガティブなことが多い分、ポジティブな思いも普通の家族よりも多いので、結果±ゼロ。
それでも長男も私達家族もみんな生きていることができて、今日も無事に夜を迎えて、明日がくるでしょう。
発達障害であろうとなかろうと、誰もが生きていて、時間を過ごしているわけですから、結局は同じです。
無理に理想の家族を作ろうとするのではなく、「まあ、いっか。」とそれぞれが自分の時間を過ごすことができたら、それだけで十分理想な家族のかたちだと私は思います。