「喋れるだけいいよ。」
とそのママ友は言います。
そうなのかもしれない、私は長男の事でいろんな事が大変だと思っているし、私に出来る事は何でもやろうと思っているし、長男の将来のためにと先々の事を考えますが、
そのママ友は、毎日がいっぱいいっぱいで先の事は考えられないと言っていました。
ただ、親が先に死んでしまった時のために、20歳になったら施設で暮らしてもらう計画を立てていると話してくれました。
私には考えた事もなかった事をスラスラと話し始めるママ友に正直びっくりしましたが、最後まで話を聞いてみると、その選択もあるのかもしれないと思える話でした。
独り立ちの可能性が考えられない場合、より安全に、より安心して親も子も暮らせる1つの選択しとして、親の死期が近づいてから施設に入れても慣れる事もそこでやっていく事も難しいかもしれない。
それなら、20歳という歳を一区切りにして、施設に慣れてもらって、そこで楽しく過ごしてくれるのなら、離れて生きていく選択肢もあるのではないかと。
兄弟がいると
「ずっと一緒に暮らしていける道も考えたんだけどね。」
とママ友は少し切な気な目で話してくれました。
しかし、妹もいて、親がいなくなってしまった後の面倒を妹に見てもらうわけにはいかない。妹には妹の人生があるのだから、誰かの助けが必要なのであれば、施設に行ってもらうしかなくてね。と言っていました。
今の私には、長男が自立して離れて暮らす選択肢はあっても、施設を考えた事はなかったので、ママ友のたくさん悩んできたであろう道のりを歩いていく事はありません。
しかし、ママ友は前向きでした。自分達家族にとっての一番いい選択をしたのだという、意志の固さが感じられました。
ひとそれぞれの道とは
周りが口を出せる事は何もありません。
ママ友の意志の固さに、私はとても勇気づけられました。
健常の子を育てているお父さんお母さんも、自分の子どもには「道は1つではない。」と話すでしょう。
発達障害の特性を持つ子の親として、この言葉はよりリアルな現実です。
道はいろんな道があるのだと、どんな子でも、どんな人でも、その人なりの道をいけばいいのだと改めて身に染みて感じた出来事でした。
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