子育てについて、私が不安だったこと

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妊娠したとき

妊娠が分かったとき、みんながみんな、同じ反応するわけではないですよね。ずっと待ち望んでいた妊娠だったらまず、うれしい!だと思いますが、予定外の妊娠だった場合、驚きと不安の方が大きいのではないでしょうか。
私が第一子を妊娠したのは、転職してまだ半年くらいの頃でした。もう少し仕事に慣れてから、と思ってはいたものの避妊もそこまで徹底していなかったのか、排卵日がその月が大幅にずれたのか覚えていませんが、とにかく予定外の妊娠でした。
私の頭にあったのはまず「どうしよう」でした。職場になんて言おう、まだ心の準備ができていないのに、でもまだ産婦人科にいくまでは、正常妊娠かどうかわからないし・・・と、頭の中をぐるぐる色々なことが巡りました。

お母さんになるということ

産婦人科に行くのは初めてではありませんでしたが(生理不順が若い時あったので)、結婚して引っ越してきてからはまだなかったので、近くの診療所に初診で受診しました。待っている間のことはよく覚えていません。心のどこかで「何かの間違いでは?」とまだ思っていたのかもしれません。
でも、内診でモニターを先生が見せてくれて「おめでとう」と言ってくれた時は、今でも覚えています。心臓がドクドク動いていて、あ、生きてる、動いてる!って感動しました。それで、仕事はどうしようとかいった不安は吹き飛んでしまいました。お母さんになるんだ!お腹に命ができたんだ!っていう気持ちが途端にあふれてきて、うれしくてたまらなくなりました。

出産に対しては不安なく過ごせた

妊娠中は、悪阻もありましたが順調でした。不思議と出産への不安はあまりありませんでした。母が兄の時も私の時も、ちょっと早産だったので早めに産まれてきてしまいそうだと感じていましたし、お産の痛みに耐えられるかという不安も特になかったです。今この世界にいる人はすべて母親のお腹で育って産まれてきたわけで、かならずその数だけお産があった。だから、それだけの回数、かなりの人が経験して乗り越ええてきたんだから、特別な事じゃないはず、と考えていました。
能天気と言えば能天気ですが、根拠のない自信があるときは当たるんだ!と自分でも言い聞かせていましたので、精神的には安定していました。
お産は予想通り安産で、元気な男の子が産まれました。出産前後も里帰りはせず、自宅で主人と私と赤ちゃん三人の生活が始まりました。主人の実家も私の実家も、日帰りで行き来できる距離でしたので、時々長男を見に双方の親がアパートに来てくれました。でも、家事をやってもらうというのは、特になかったです。義母も気を使う人で、それほど長居することも、干渉しすぎることもなく、気が楽でした。私はその頃まだ二十代で、体力にも健康にも自信があったので、退院してすぐ布団をベランダに干したりしていました。でも、後にたたるので、皆さんはやめてくださいね。産後は少しゆっくりした方がいいです。

産後、体は元気だけれど


息子は特に問題なく、元気におっぱいを飲んですくすく大きくなりました。とにかくよく飲む子で、入院中から他の子の倍くらい母乳を飲んでいたようです。飲む間隔も、育児書にあるような2~3時間ではなく、1時間ごとに泣いていました。
おかげ息子は1カ月で2キロ近くも体重が増え、私はあっという間に体重が戻りました。新生児期は、おむつかえ、母乳、おむつかえ、母乳の繰り返し。合間に仮眠をとりながら家事をしていましたが、まだ赤ちゃんの方もほとんど寝ているので、体力的にきついとは感じませんでした。
むしろまだ20代で体が元気なだけに、家の中でひたすら赤ちゃんと2人きりというのがつらかったように思います。たまに実家の親が来た時に、30分だけ近所のスーパーに買い物に行くくらいでしたから。近所に知り合いもいなかったので、1か月過ぎてから近所の公園なんかにも行ってみたのですが、何時くらいに人が来るのかもよくわからず、また他のお母さんや子供がいてもすでに2,3歳の子供たちのママ同士でグループになっていて、行ってもあまり公園デビューといった感じにはなりませんでした。

苦労した赤ちゃん時代

2カ月過ぎると夕方泣きがひどくなって、ずっと抱き続けていなければなりません。息子はとても眠りの浅い子で、やっと寝たと思ってもすぐ起きるし、布団に下ろす時もすごく神経を使いました。あまりに毎時間泣くし、まとまった時間も取れないのが辛かったのですが、相談相手もおらず、育児相談電話などを利用して愚痴を聞いてもらうことでしのいでいたのを憶えています。
6か月過ぎても夜間続けて寝てくれることはなく、むしろ一時間ごとに起こされる日々でした。昼寝も長くても1時間半、短いと30分で起きてしまいました。しかも添い乳では寝てくれず、その都度抱っこして母乳を飲ませ、下ろす時も起きないようにそーっとやらないとまた泣いてしまう。夜中にそれだと、緊張で自分の方が目が覚めてしまうので、ついには座椅子で抱っこしたまま朝まで眠っていた時期がありました。
長男は赤ちゃん時代に結構苦労したので、その時期が長かったように感じます。次男の時は、ほとんど覚えていないくらいなんですが。実際にはほんの1年ちょっとなんですよね。でも、当時は必死でした。なんで泣いているのかわからないし、離乳食だって全然食べてくれなくて、こんなに頑張ってるのになんで!?って思うこともありました。
でも、うちの子はとてもよく泣く分、よく笑う子でもありました。人見知りもあまりしなかったので、誰にでもにこにこして可愛がられ、その笑顔に癒されていました。今でもそうですが、気持ちの切り替えの早い子なので、叱られてしゅんっとなってしまっても、次の瞬間はもうケロッとして遊んで笑い転げています。私もついイライラして子供にきつく当たったり、強く怒りすぎてしまったと反省することもありましたが、その後はなるべくきゅっと抱きしめて、思い切り可愛がってあげることで自分の罪悪感を軽くしていました。

職場復帰

職場復帰は9カ月からを予定していましたが、おっぱい大好きで離乳食が全く進まない子だったので、大丈夫かどうか不安でした。哺乳瓶が苦手で、ストローマグも嫌がって飲まないので、水分はほとんど母乳でした。人見知りはせず、お友達大好きな性格だったので、きっとすぐ慣れるだろうとは思いましたが、食事面だけは心配でした。
ですが、そんな心配は無用だったようです。保育園はとても手厚く対応してくれて、先生方も親切でした。相変わらず哺乳瓶やマグは苦手でしたが、すぐにコップで飲めるようになり、給食も環境が違うせいか、モリモリ食べるようになったそうです。最初の一週間は、眠くなったりすると泣いていましたが、あっという間になれました。その後も保育園に行きたくないと泣いたことはほとんどなかったです。
うちの子は動けるようになるのが遅く、ハイハイが9か月、歩くのが1歳3カ月ごろからでした。その後は、自分で動けないもどかしさが解消されたのか、あまり愚図らなくなりました。でも、夜中は1歳過ぎまで、1~2回は起こされていましたね。仕事もしていたので体力的にもきつかったです。私が乳腺炎になったのをきっかけに1歳ちょっとで母乳をやめてから、次第に起きなくなりました。もうベビー菓子等で気をそらせるようになっていたので、卒乳はそれほど大変ではありませんでした。

ABOUTこの記事をかいた人

30代後半、10歳と5歳の男の子の母です。 平日は、子供を学童と保育園に預けてパートタイマーとして働いています。慌ただしいながらも頑張りすぎず、気楽で楽しい育児をモットーに、賑やかで幸せな日々を送っています。