見えないからこそわかりにくい発達障害の特徴

発達障害は見た目では全くわかりません。
長男も通級に通いながら通常級で生活していますが、見た目では他の子と何もかわりません。

同じクラスのママ友に、長男の発達障害の事を話しても、全くわからなかったとよく言われます。

みんなと同じように授業を受け、休み時間は校庭で思い切り遊び、給食は人一倍おかわりをして、掃除も学校行事も参加出来ています。

しかし、その中身は全てがうまくいっている訳ではありません。

体幹の悪さ

長男は入学当初から通級に通っていますが、1学期初めての通級の参観日の時、

6人いたクラスの子の半分が時間とともに机の上に半分伏せるような姿勢になっていました。

長男もその中の一人だったのですが、後で通級の先生から、発達障害の子は体幹が弱いので、「長い時間姿勢を保持する事が難しい子がいるんです。」と教えてもらいました。

長男の体幹が悪いのは、療育に行っている作業療法士さんからも言われていた事なので知ってはいたのですが、通級クラスの半分の子が机に倒れた状態になっていたのは、正直とてもびっくりしました。

長男の体幹のレベルは、当時は自転車に乗って、カーブ等で傾くだけで、「うわー!!!」と叫ぶレベルです。長男は倒れそうで怖かったようなのですが、私にはわからず、大丈夫だって、と思っていました。

なので、鉄棒の前回りすらできませんでした。
ちょっとでも傾くと、怖くてそれ以上は回れない。手で捕まっているから大丈夫、と言っても信じてはくれませんでした。

うまく言葉に出来ない

おそらく、これが一番見えにくいと私は思います。

発達障害の中には、とてもお喋りさんな子がいます。独り言でも人と話すでも、緘黙の子以外は話すこと自体が難しいわけではないと思います。

だからこそ、誰も気づかない。もしかしたら親も気づかないかもしれません。
実際、私もなんとなくわかってきたのは最近です。

長男もかなりのおしゃべりさんです。「少しの間、3分でいいので、お口を動かすのをお休みしてください。」とこちらからお願いする位です。

わからない事のもどかしさ

こんな事がありました。
ある朝、突然、長男が学校に行かない、と言い出しました。
学校に行きたくないのは毎日の話で、どうやったら学校に行かなくてもいいのかを真剣に考えるくらいなので、いつもの事だろうと思っていたのですが、その日は様子が違いました。

よくよく聞いてみると、どうやら学校の授業で、グループ発表があるらしく、その発表に使う原稿と資料を休み時間を使って用意しなくてはいけないようです。
しかも、家での宿題にする事は許されず、学校でやらなければいけないと言われたようで、どうにもこうにも出来なくなってしまったようでした。

長男にとって、休み時間はストレス発散の大切な時間。
体を動かしてからではないと、何事にも取り組めません。

それなのに、朝休みも中休みも昼休みも遊べない。
そんな学校にはもう行けない。
となってしまいました。

長男が言うには、原稿も何を書いたらいいのかわからないし、資料も自分の担当がわからに、というのです。わからないなら聞けばいいのに、と私は思ってしまうのですが、何をどう聞くのかもわからない。

おまけに先の予測も苦手なので、何をどこまでやれば、休み時間に遊べるのか、そのゴールが見えなかったようです。
結局その日はお休みし、私が代わりに休み時間を使って学校へ行きました。
担任に事情を話し、長男と同じグループの子に話を聞いて、担任に交渉し、宿題にさせてもらいました。

家に資料と原稿の用紙を持ち帰った私に、長男はとても驚いていました。
宿題にしてはダメ、と言われていたものを私が持ち帰ってきたわけですから。

さて、この時、私が最初にやった事は、やらなければいけない事を図にする事でした。
長男と話をする時によく使う方法なのですが、話だけで用件を言っても全部は伝わりません。

最初の1つか最後の1つ。その位しか覚えてないんですね。
なので、図や表、言葉でもいいので、目で見える形に残しながら話をしていきました。
ここまで終わればおしまい、という事をまず最初に認識してもらいました。

そして発表の資料は何を書くのかの目的をきちんと理解していなかったので、
サンプルを見せながら、資料を作る目的を話し、グループの中での長男の役割を聞いてきた通りに伝えました。

そして原稿も、箇条書きにした発表のテーマを一つずつ原稿に書き出していきました。

こうして見えるようにする事と、目的やゴールをはっきり見て理解出来れば、作業はあっという間に終わるのです。

問題は、担任がクラス全員に話して指示を出している事を聞いただけでは理解できない事。そして、「わからない」という事しかわからないので、何を聞けばいいのかがわからない事。
わからないので、なんとなく周りを見て、友達の真似をして同じ事をやっているように長男本人は一生懸命なのですが、わからない事は本人にとって、とてつもなく不安な事なのです。

それが少しずつ降り積もり、ある所で耐え切れなくなって、目に見える形でサインが出る。
今回はそれは「学校へ行かない」という一言でした。

担任の先生が気づいてくれた事

長男が学校を休んで、私が代わりに学校へ行った時、担任の先生に休んだ理由を話しました。

・休み時間が全てつぶれてしまうのはとても嫌だという事。
・発表の作業で何をするのかがわからない事。
・何がわからないのかがわからないから、誰にも何も聞けない事。
・それに耐えられない事。

この話を聞いて、担任の先生はハッと気づいたそうです。

・長男にわからない事はないかと声掛けをすればよかった事。
・長男の作業担当を一緒に決めればよかった事。
・原稿は一緒に書き進められるように声掛けをすればよかった事。

今年の担任はとても理解のある先生で、いろいろと試行錯誤してくれていました。
しかし、今回の事が長男の負担になっている事に全然気づかなかった、と言っていましたが、私は気づきにくいところだと思います。わからないと思います。
だってきっと、クラスの中にいる時は、みんなと悪ふざけでもしながら笑っているんですから。
クラスの友達も「早くやってよ。遅いんだから。」位にしか思っていないと思います。

こういうところが発達障害だな、と思います。
毎日、あんなに喋っているのだから、「何がわからないかもわからない」、とでも言ってくれたら。担任の先生やクラスで言えなくても、帰ってきてから私に言ってくれたら。
私から担任に電話で確認する事が出来るのに。といつも思います。

でも、いつも、何かしらのサインが出てからしかわからない。
本人も私も。
だから発達障害なのだ、と思います。

いつまで通訳してあげられるのか

日常生活の中では、このように私が間に入って通訳代わりをしています。
コミュニケーションが必要なところは、時間がかかっても、私の自分の時間がなくなっても、これから先、私が先に死んでしまう事の方が確率としても高いので、私が通訳をしてもコミュニケーションを覚えて欲しい。
たった一人で生きていくわけではないのですから、その方法論を少しでも身につけさせてあげたいと、本心で思っています。

次男に長男の通訳をさせるつもりはありませんから、私が生きている限り、間に入って支えてあげたいのですが、子供の成長はあっという間。
発達が遅れているとはいえ、いつか親離れをする時がくるでしょう。

とても心配ですが、長男が親離れをする時までは、必要なだけ、通訳をするつもりです。
また、私という通訳がいなくても、他の場で、例えば学校の担任やスクールカウンセラー、通級や療育の先生など、私以外の人を通訳として頼れるようになってくれたら、あるいは少しは安心できるかもしれません。

今の所、まだまだ難しいのが現実です。
あっという間に子供は大きくなりますが、不安に埋もれている時間はとても長く感じます。

なので、不安に思う事は止めました。

今、出来る事を悔いなくやれたら、先の未来は不安ではなくなりますから。
幼少期に比べたら、今はとても未来が明るく見えてきました。
先の事よりも、今日、出来る事。
そのために私は生きていると自分に言い聞かせて今日も頑張っています。

ABOUTこの記事をかいた人

2人の男の子を育てている主婦です。(現在小4と小1) 長男が発達障害のため、ちょっと変わった子育てをしています。 今年から次男が小学校に入ったので、少しずつ自分の時間が持てるようになりました。 そんな私のちょっと変わった子育てのお話を紹介致します。