発達障害の特性をつぶさないために親にできること

発達障害である長男を育てていると、ある疑問にぶつかりました。

発達障害児だけが学ぶ事

療育や通級では、グループで「ソーシャルスキルトレーニング」をやったり、「チクチク言葉とフワフワ言葉」の使い分けを勉強したりしますが、なぜ、発達障害の子どもが一生懸命これらを勉強しているのか、逆に健常の子どもにも、同じ内容が必要な事なのではないか、という疑問です。
道徳の授業でもやるのでしょうが、通級ではより具体的に練習を重ねていくため、知識と経験の両方で記憶されていくでしょう。しかし、発達障害の子ども達は、そもそも周りの人を傷つける気持ちなど持ち合わせていないような子が多いのではないか、と感じます。
確かに、相手の気持ちがわからなかったり、表情や顔色を判断出来なかったりもしますので、ストレートに傷つけるような言葉を発してしまうかもしれません。空気が読めなくて、その場にふさわしくない態度をしてしまうかもしれません。しかし、嫌味を言ったり、嫌がらせをしてきたり、バカにしたり、というのはむしろ通常級の方が頻繁にある事だと思います。発達障害の子どもだけが一生懸命に勉強していったとしても、通常級では日常的に交わされている言葉。そして、通級で習ったような理想的な対応はしないのですから、矛盾しているような気がしてなりません。

親の思い

このような疑問を通級の先生にぶつけてみましたが、制度は簡単には変わりませんから、納得のいかない気持ちを抱えたまま、過ごす日々も少なくありません。
長男が‘発達障害’と診断を受けてから、少数派である事により、納得のいかない思いをたくさんしてきました。学校はその一番の場所で、特性が強く出れば出るほど、長男にとっては生きにくい場所となります。集団生活の中で、みんなと同じような一律を求められ、そこからはみ出る行動をする長男は、言ってみれば箱詰め商品の基準値から外れたもの。先生達は、うまく箱の中に入れるように一生懸命になりますが、もともとはみ出てしまう形の長男は自分の形を変えないと、みんなと同じ箱には入れないのです。はみ出ている部分があれば、へこんでいる部分もあるので、柔軟に形を変えて箱に収まるサイズに自分を調整する事はとても難しく、変えられません。周りを見て真似してみた所で、「自分は何かが違う」と、「みんなは箱に入れるのに僕には入れない」と、知ってしまう訳です。
「僕だけ出来ない」事を知ってしまった長男は、自分は出来ないと自己肯定感を下げてしまい、自信もなくしてしまい、生きる活力も減っていってしまう、そんな悪循環になってしまいます。

親として気を付けている事

こういう二次障害に陥らないために、私が常日頃から思って気を付けている事があります。
それは、特性の部分を減らそうとしない事です。みんなと同じ形に自分を削り、削った部分をへこんだ部分に足して箱に入らないようにする事です。つまり、特性を認める、受け入れる、という事です。そして言葉に出して長男に伝える、家族兄弟を始め、周りにも伝え続けていく、これが私の一番の仕事なのかもしれないと思っています。
もし、長男が箱に入る必要があるのなら、発達障害の特性を持っては生まれてこなかったでしょう。発達障害である事は、困り事もたくさんありますが、いい面もとてもたくさんあるからです。凸凹の状態でバランスを取っているからこそ見える、人とは違う世界、違う考え方、新しい発想や突き詰めていくだけの持久力。猪突猛進なまでの行動力。飽きずに1つの事を繰り返しやれる能力。人一倍速い計算能力。
もし、この能力を削らなければ学校にいられないのであれば、学校には行く必要はないとまで思っています。とても貴重な能力です。間近で見ていると、本心からびっくりする事があります。
わからない事や出来ない事がある分、突き出ているこの部分を、学校生活を送りながらいかに削らないようにしていくのか、宿命といえば大げさなのでしょうが、その能力を持って生まれてきた長男が活かされる場を持てるまで、私は支え続けていきたいと思っています。

ABOUTこの記事をかいた人

2人の男の子を育てている主婦です。(現在小4と小1) 長男が発達障害のため、ちょっと変わった子育てをしています。 今年から次男が小学校に入ったので、少しずつ自分の時間が持てるようになりました。 そんな私のちょっと変わった子育てのお話を紹介致します。