長男が産まれたのは、私が33歳の時でした。
なかなか子供が出来ず、やっと産まれた長男は、周りのママさん達に聞く様子とはちょっと違っていました。
それでも、初めての子育てだからなのか、と不安と疑問でいっぱいの毎日をなんとか過ごしていましたが、長男の行動の様々は周りからは私のしつけが悪いと言われ、責められる日々でした。
こだわりの現れだったのかもしれない赤ちゃん時代
長男は赤ちゃんの時から夜泣きがひどく、ベビーカーには一切乗らず、哺乳瓶を受け付けないためおっぱいじゃないと何も飲まない、そんな赤ちゃんでした。
キラキラ・ピカピカ光る物が大好きで、天井から小さなミラーボールを下げてあげると、30分近くミラーボールを見てご機嫌な状態でした。
言葉が出るのは少し遅かったのですが、寝返りも歩くのも問題なく、検診でひっかかった事は一度もありませんでした。
食事はとてもよく食べるのですが、レトルトや瓶に入った離乳食、ベビーフードのお弁当は一切食べてくれなかったので、出かける時もすべて手作りでした。
また、長男は、外にいる分には大丈夫なのですが、店内に入ると泣いていたので、外食の時は主人と交代で食事を食べた事もありました。
子育て支援センターへ相談に行くまで
とにかくよく食べるので、縦にも横にもどんどん大きく成長していった長男。
起きてから寝るまで、ノンストップで動きまわる長男に、私が振り回される日々でした。大変過ぎる長男の子育てに疲れ果てていた私は、長男の事をかわいいと思える事はありませんでした。
最低な母親と、いつも自分を責めていました。
長男が2歳半の時に次男が産まれ、さらに長男の事を大変だと思うようになりました。
とにかく外で遊んで体力を消耗しないと、夜も全く寝てくれないので、ご飯を食べる以外のほとんどは公園で過ごしていました。
今ではこだわりと思える行動も、その時はわかりませんでしたから、集中力がある子なのだと思っていました。
ひたすら同じ形のブロックをどこまでもつなぎつづけたり、プラレールの電車を寝っころがって走らせたりすること7時間。
さすがの私も何か違うと思い始めていました。
次男はベビーカーにも乗ってよく寝てくれたし、哺乳瓶もミルクも瓶に入った離乳食も何でもOK。
あまりに正反対な子育てに、かなり戸惑いました。
長男3歳の頃のある雨上がりの日、いつものように公園で遊んでいたのですが、私が次男を抱いて土手を降りた後、長男が土手の上で泣いていたんです。
「どうしたの?降りておいで。」
と声を掛けても、「降りられない」と泣き続けていました。
雨上がりだったので、地面が柔らかく、滑って降りられないようでした。
なら、ちょっとまわって、坂がない所から降りてくるようアドバイスしたのですが、いつもこの道から降りているからこれ以外の道では降りられないと泣いているのです。
意味がわからない私は、だんだん腹が立ってきて、怒鳴ってしまいました。
と同時に、私が子供の頃、同じクラスにいた自閉症の友達を思い出したのです。
その友達にも、同じように「この道じゃなければ通れない」と言われ、手をつないで友達の望む道を通った事が頭をよぎりました。
なんとなくその時、理屈ではなく直感で、もしかしたら怒ってはいけないのかもしれない、と思ったのです。
自閉症の友達には、「怒ってもわからないから、優しく教えてあげてね。」と先生から言われていました。
その時の記憶が次々とよみがえってくる中、長男にも同じ空気を感じたのです。
結局、長男の手をつなぎ、別の道から土手を降りたのですが、公園で遊んだあと、そのまま子育て支援センターに行き、子育て相談を申し込みました。
初めての発達検査
子育て相談は割とすぐに予約が取れました。
心理士さんが長男の遊ぶ様子や私からの話を聞き、確かに気になる所があるかもしれないと、そのまま療育センターでの発達検査を薦めてくれました。
発達検査は4歳を過ぎてから、と言われ、早生まれの長男の誕生日が過ぎてすぐ、発達検査をしてもらいました。
担当してくださった方は医師ではなく心理士さんなので、診断することは出来ないけれど、長男の様子と発達検査の結果から、発達障害のグレーゾーンに入っている事を説明してくれました。
そして、今までの大変だった長男の子育てについて理解を示してくださり、私のしつけのせいではないと、生まれつきの脳のしくみの違いで、治るものもない事を説明してくれました。
今でもこの日の事ははっきりと覚えています。
私のせいではなかった。
主人にも、主人の両親にも、事あるごとに責められていたので、私のせいではなかった事に心底、ほっとしました。
そして、発達障害の事を細かく教えてもらい、対応や母親として出来る事も教えてもらいました。
と同時に、私が子供の頃に、自閉症の友達と過ごした経験が、なんとなくわかるという根拠のない自信をくれました。
怒らないということ
グレーゾーンとはいえ、発達障害の可能性は十分にあるわけで、発達障害の事をネットで調べれば調べる程、長男に当てはまっていました。
同時に、今までたくさんたくさん怒ってしまった事、それは間違っていた事だと分かりました。
怒られるという事は、怒られた事しか記憶に残らず、何で怒られたのかがわからないので自分はダメなんだと思い込ませてしまうだけのようなのです。
それからの私は、長男が何を分かって何を分かっていないのか、何に興味をもって止めないのか、何がイヤで食べないのか、等、細かく言葉は悪いですが観察をするようになりました。
観察をしていくと、別に長男は何も悪い事はしていないのです。
私の都合のいいように動いてくれないだけで、長男は自分の興味のある事に熱中しているだけなのです。
そんな時間が他の子よりも断然長いだけなのです。
それを知った時、先が明るく見えました。
「発達障害」と聞くと、お先真っ暗で将来が不安でどうしていいのかわからなくなってしまう気がしていましたが、実は全然違っていました。
確かに、他の子とは違いますし、長男本人が困る事もあるでしょう。
でも、子供を良く見て理解しようとすれば、わからない事はないような気がします。
どうすればいいのか、私に何が出来るのか、必ず先は見えてきます。
その後、就学前検診の前に医師の診断が必要だったので、正式に診断を取り、長男は高機能自閉症、ADHDと診断されました。
小3の時にさらに学習障害が追加され、トリプルの発達障害児で、相変わらず大変な事も多々ありますが、今ではとても明るく夢を持って生きています。
そんな長男を見ていると、
あの時、長男が3歳の時、
迷わずに子育て相談に行った事が私と長男を救ってくれたと今でも思っています。