もしも長男の発達障害が治ったら

もしも長男の発達障害が治ったら。そんな事、今まで一度も考えた事はありません。治らないと思っているし、治る類のものでもないと言われていることをその通りなのだと思っているからです。しかし、もしも長男の発達障害が治ったらどうなるのか、長男が困っているけど、半ば本人も諦めてスキルを付けていこうとしている事について、もしもの空想のお話をしたいと思います。

人の気持ちがわかったら

もし、長男が人の気持ちや場の空気がわかる子であったら。
人との会話や遊びの中で、たくさんの共感が出来るでしょうね。一緒にうれしいと思い、一緒に楽しいと思い、一体感やグルーブ感のようなものを感じ取り、体験できると思います。自分以外の誰かが悲しんでいたらそっとしておく事も出来るし、転んでしまったら「痛かったね、大丈夫?」と声を掛けることも出来るでしょう。同情することも、情けをかけることも出来るでしょうし、場の空気がわかれば、今の自分の言動や行動に注意することも出来るし、相手を傷つけてしまうような言葉を発する前に、言わずにいることも出来るでしょう。相手の様子を見て、自分が悪いと感じる事が出来れば、素直に謝ることも出来ますし、そこから学習してこれから先、気を付けていくこともできますね。

衝動性を止めることができたら

「やりたい!」と思ったら今すぐやりたい。その瞬間に、今やらなければいけないことなどの他の情報は全てなくなり、すぐに行動に移す長男。前向きな事であれば、行動力があるのでとても良いことなのですが、これが結構、生活に支障を与えます。
もし、衝動的に動く前に、ほんの少し考える事が出来たら、そして状況を考えることが出来たら、幼少期から怒られ続けるような事はなかったのでしょうね。衝動的であり過ぎたために、これまで長男はどれだけ怒られてきたのでしょうか。頭の中の忙しすぎる情報量が飛び交う中、長男の興味に引っかかるものはたくさんあります。テレビに始まり、目に映るもの、耳から聞こえるもの全部に気がいってしまうので、もしかしたら、本当に長男がやりたかった事の半分も出来ていない子供時代になってしまっているのかもしれません。

学習障害ではなかったら

もしも長男が本を読むことができたら。絵本だけなく、5年生になった今頃は、江戸川乱歩の少年探偵団くらいの本は読んでいるのかもしれませんね。文を読んでも内容や意味の理解が難しい長男が、物語の本を読むことはほとんどありません。ほぼ、図鑑ばかりです。読書週間なども図鑑を読んで過ごしているようです。図鑑以外の本を読んで、一緒に感想を語り合うことなど、もはや望んでもいませんが、もし読めたら、本の内容についてのいろんな会話が生まれたのでしょう。
そして、字を書くことに難しさがなければ、みんなと同じような小さいマスのノートを使い、算数の筆算でもケアレスミスに見えてしまう間違いはなくなり、本来の計算能力に自信を持てるようになっていたのでしょう。

感覚過敏がなければ

蛍光灯の灯りが辛くて、夜になると家の中でサングラスをかけることもある長男。感覚が過敏でなければ、蛍光灯の灯りのチカチカを気にすることなく、自分の時間を過ごしていくことができたのでしょう。冬になったらカサカサするジャンバーを着て、学校に行けたのでしょうし、どんな洋服の素材も着る事が出来、将来はおしゃれを楽しむことができたのでしょうね。生活音のノイズを気にすることなく、会話も出来るし時間も過ごせる。これだけでも長男の世界は大きく変わると思います。

治らないとわかってはいても

例に挙げたことはほんの一例ですが、治らないとわかってはいても、長男本人はたまに、「発達障害じゃなかったら良かったのに」ということがあります。その逆で「発達障害で良かった」という時もあります。感覚過敏だけがないだけで、おそらくかなり過ごしやすくなるのではないかと思っていますが、感覚過敏はどうにか出来るものではないので、対処・対策・配慮をするしかないのが現状です。
発達障害ではない長男だとしたら、長男はもっともっと前向きで顔の表情まで違っていたのかもしれませんね。私も、健常のお子さんを持つ親と同じ境遇にいたのでしょう。現世では発達障害ではない長男と過ごすことはできませんが、どうなっていたのか、見てみたいものですね。

ABOUTこの記事をかいた人

2人の男の子を育てている主婦です。(現在小4と小1) 長男が発達障害のため、ちょっと変わった子育てをしています。 今年から次男が小学校に入ったので、少しずつ自分の時間が持てるようになりました。 そんな私のちょっと変わった子育てのお話を紹介致します。