あるがままでいられたら~わがままに見えてしまう発達障害の特性~

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子育てをしていると、素直で元気に育って欲しいというような思い、他人に迷惑をかけずに生きて欲しいというような思い、自分の夢に向かって真っすぐに突き進んでほしいというような思い、いろんな思いを持ちますよね。
あくまでも親としての理想ですが、こういう人に育ってほしいという思いを持ちながら、日々子供と接していくと、必ずぶつかるのが、‘しつけ’という壁。
挨拶や礼儀、やってはいけないこと、様々な社会のルール、他人を思いやる気持ち、などなど、‘しつけ’に関連することがたくさんあり、‘ちゃんとした大人’になって欲しいがために親はがんじがらめになってしまいます。育てながら薄々気づいていく子供の甘えとわがままの境目に苦しみ、周りの人達から言われる‘しつけが悪い’‘わがままに育てている’という類の心無い言葉に傷つき、悩んでいる方もいらっしゃるでしょう。
発達障害児を育てていると、あっという間にこのような世界の中に入っていってしまいます。そして簡単には抜け出せない、悪のループにはまっていきます。私は悪のループこそ断ち切りましたが、まだまだ悩んでいる最中。それを「子育て」と呼ぶのでしょうね。

わがままって何?

そもそも‘わがまま’とは何なのでしょう?
‘わがまま’の意味はどの辞書で調べても同じようなことが書かれていますが、その使い方や認識は人それぞれの解釈で使っているような気がします。
他人の都合を考えず、自分の都合だけを考えて行動すること。
大体こんな感じの内容が書かれていますし、認識としては私達も同じですよね。
身勝手、自分勝手のような表現もありますよね。
私の解釈では、わがままは主に性格的なところを指し、自分勝手は行動を指しているような気がしています。
この‘わがまま’という言葉は、他人がいて初めて発生してくる言葉。自分1人だけの世界ならわがままにはなりませんから。
‘わがまま’の状態を完全に封鎖してしまうと、「何を考えているのかわからない」とか、「もっと自分を出しましょう」とか、「はっきり言っていいんだよ」とか言われてしまう。
社会の暗黙のルールとは本当に難しいものです。
さて、そんな‘わがまま’と発達障害の関係について、私なりの考えをお話ししていきたいと思います。

‘わがまま’に見えてしまう背景とは

よくスーパーなどで、「買って買って」と駄々をこねて泣きわめいている子供を見ると、大半の方は‘わがままを言っている’と思ってしまいませんか?
そこで「わがまま言わないの!」と怒ってしまうのか、買わない理由を説明するのか、によって‘わがまま’にしてしまうのか、‘対話’になるのか変わってくると思います。
子供が小さい場合、ガンとして買わない姿勢を子供が覚えてくれるまでは‘対話’になることなどあまり考えられませんが、子供が自分の気持ちをわかってもらえたのか、わかってもらえなかったのか、という所が1つのポイントかな、と思います。
ここで親の心理としては、全てが自分の思う通りにいくわけではない(わがままが許されていくと後々本人が困るから)、ということを教えることと、他人軸からみて、いい子(ちゃんとしつけができている)だと思われたい、この2つが混在しているのではないでしょうか?
私の考えですが、幼少期の‘わがまま’と言える行動は、しっかりと自己主張ができていると考えます。
自分の思いを伝えたい。でもまだ子供なのでどう伝えていいのかわからない。でも湧き上がってくる思いをどうしたらいいのかわからない。
という、意志のアウトプットと表現できない気持ちを処理できずに‘わがまま’として大人には見えるのかなと思っているので、‘わがまま’自体が悪いとは思っていません。
ひどくなれば癇癪を起こすでしょうし、奇声も発するかもしれません。
TPOをわきまえずに泣きわめき、ひっくり返って暴れる子もいるでしょう。
しかし、ただの自己主張です。
知識や経験がないからわからないだけで、全てがわかれば‘わがまま’にはならずに正当な方法で、自己主張してくると思っています。
その周りにいる人達が、‘わがまま’というレッテルの紙を貼るのです。
周りの人達が子供を‘わがままな子’とし、その子の親を‘わがままに育てている親’に勝手にしているだけです。
当の本人たちには‘わがまま’を言っているわけでもなく‘わがまま’に育てているわけでもない。
まずそこが、私が考える‘わがまま’の解釈です。

発達障害とわがままは関係ない

かなり独特な解釈だとは思いますが、私の解釈する‘わがまま’で言うと、発達障害の子供や親を‘わがまま’と表現する人もまた、周りの人たちが勝手に決めているもの。
なので、私の中には、「発達障害だからわがままだ」という表現はありません。
発達障害のいろいろな特性を考えれば、わがままと表現されるのもわかる気はしますが、発達障害の人達は他人の気持ちや行動の理解が不得意なので、他人の都合を考えることがそもそも論で難しい。この時点で‘わがまま’が当てはまらないのです。そして、ある意味、うらやましく感じることもあります。
他人の都合や気持ちや空気感をわかってしまうがために、遠慮してしまって自分の思うことがやりにくかったり、先々のことが予想出来てしまうがために、今、不安な思いを抱えて時を過ごしてしまう。
発達障害の子供と接していると、「生きる」って何なんだろう。という大きな大きな答えのない世界にまで、思考の針が向いてしまいます。
最低限のマナーやルール、生きる上で必要なスキルの身に付け方は人それぞれ違います。
‘わがまま’と言われることをおそれず、本当に必要なことは何なのか。伝えたいことや理解したいことは何なのか。今出来ることは何なのか。
どんなことであっても、問題ととらえてしまえば問題になる。問題としてしっかりと抱え込んでしまうのではなく、育てている花の様子を見ながらお世話をしていくように、しっかりと向き合い、様子を見ながら方法を変えていえば良いと思うのです。
世間一般的にどうこう、ということではなく、子供でも大人でもその人自身をしっかりと見ようと努力すること。これさえできていれば、あとは周りの人達に、好きなだけ‘わがまま’とでも何とでも言わせておきましょう。いずれ、言った方が、「そうじゃなかったんだ」と間違っていたことに気づく時がきますから。

ABOUTこの記事をかいた人

2人の男の子を育てている主婦です。(現在小4と小1) 長男が発達障害のため、ちょっと変わった子育てをしています。 今年から次男が小学校に入ったので、少しずつ自分の時間が持てるようになりました。 そんな私のちょっと変わった子育てのお話を紹介致します。