【習い事】母から学んだ「習字教室は子育て教室」

体力的なことを理由に現役を退いてはいますが、私の母は80才を過ぎる頃まで、長年に渡り習字教室を個人で運営していました。その収入は決して多いとは言えませんでしたが、母に言わせれば、もっと大きな報酬を子ども達からもらえていたんだそうです。
母の教室は、やんちゃな男の子が多く通って来ていたように記憶しています。その子達は、今はそれぞれ大きくなって立派に社会に貢献する仕事をしています。中にはプロ野球選手になって一軍で活躍し、今もプロ野球でコーチをしているOBもいます。
母の「習字教室は子育て教室」という言葉から、やんちゃ坊主達に果たした習字の役割を探ってみました。

文字を見ると、心と体は繋がっていることがわかる

母は「文字を見るとその子のその時の心理状態が解る」と言っていました。穏やかな時は穏やかな文字、荒れている時は荒れている文字。文字を見ながら、その日のその子への対応を決めていたそうです。
そもそも背中が曲がっていたり斜めになっていては、真っ直ぐな一本線すら上手く書けないのですが、どんなに姿勢が良くても、心が乱れていればやはり、真っ直ぐな一本線は書けないのです。つまり、心と体がお互い合致しなければ、文字は乱れてしまうのです。
習字を教える側として、その日の子ども達の状態を受け入れて指導するのは当たり前だそうで、スポーツなどとは全く違う「静」の状態でありながら、中身は心でたくさん戦っているのだと理解して指導していました。
多くの言葉掛けよりも、文字と向かい合わせながら、自分で「答え」を考えさせることが大事であり、それは習字だからこそ出来るとも言っていました。

自分と向き合う時間ができる

「中身は心でたくさん戦っている」と書きましたが、時間が経つにつれて文字が必ず変わっていくそうで、子どもなりに自分との様々な葛藤を、文字を書く中に自ら解決していっていることが、文字の変化していく過程で解るのだそうです。集中して取り組みながら自分と向き合い、自らの葛藤と自己解決の道のりを、母に話して聞かせてくれる子達もいました。
こういう話しを聞くと、子ども達は自己解決の力をしっかり自身で持っていることが理解出来ます。習字は、その能力を引き出すのには最適なのかも知れません。

上手い、下手だけが評価ではない

母の教え方は、まず上手く書けた所を褒め、次に「惜しかったね、ここを気をつければ絶対良くなるよ!」と伝えて再挑戦をさせていました。それが出来たところで必ず文字全体を見せて、自分の文字が変化したことを確認させていました。それがモチベーションにもなっていたのでしょう。
文字が上手いことを評価するよりも、練習の中で自分で考えて確認し、自己評価をしながら進む力を付けてあげることで、結果的に文字も上手くなっていくのです。
また、文字は子どもの性格も表すようで、母は「暖かい字だなぁ」「優しさが見える字だね」という言葉を多用していた記憶があります。文字を心で見るということも教えていきたかったのでしょう。
見えないところを教えることは難しいものですが、習字は文字によって内面が現れてくるので、それも可能にしてしまうのかも知れませんね。

習字は子育てに貢献できる

普段は本当にやんちゃな子ども達が教室にやって来るのですが、時々私も覗いてみると、その子達が静かに背筋をピンとして紙に向かっている姿がありました。それは驚きでもありましたが、頑張る姿は何だか頼もしくもありました。
中学生になるまでの間、親の転勤以外で教室をやめた子は一人もいませんでした。中学、高校と続けて、学校でも書道部に入った子もいましたし、大人になっても教室に来ていた子もいます。
彼らを見ていたら、習字は子どもの成長を、とりわけ心を強く育てる力を持っているのではないかと思います。
古来から習字がずっと文化として生き残って来れたのは、子ども達にとっていうならば、しっかりとした体と心を持った大人になれるように、子育てにも大きく貢献をするからと言ってもよいのではないでしょうか。

ABOUTこの記事をかいた人

1964年生まれ。 「辛い時期もいずれ過去になる。」なんて台詞が解る年頃になりました。 これまでの経験を生かし、少しでも興味を持ってもらえるような記事を書きたいと思います。