発達障害児の親として望む学校教育とは

現代では、ある一定の年齢になると幼稚園に入り、小学校へ入学し、中学・高校・大学と当たり前のように進学をしていきますね。
その流れに乗っていることが普通であり、良いことだと思われる。そんな風潮があり、不登校になってしまったり、中退してしまったりするとなぜかダメ人間のような偏見で見られることもまた、当たり前の意識になっていると思います。
長い歴史の中で学校が出来、子供が平等に教育を受けられるようになったことはとてもいいことだと思うのですが、その枠からはみ出てしまうと、それは違う、と言われたり思われたりしてしまう。
おそらく学校に通っている子供達を含め、当たり前と考えてしまっている学校教育の意味を大人たちも深く考えてはいないでしょう。
学校に行けば勉強ができるようになる、社会人として働くために必要なものが身に付く、と誰もが信じて疑わない。
なのに、実際に社会に出てみると、それほど即戦力にはならないのも事実です。
学校で勉強してきたことが役に立つ職業ももちろんありますし、即戦力になる専門学校などは使えるでしょう。
しかし中学までの義務教育の中で、どれだけのことが使われているのか、勉強に限っていえば、そんなに多くのことは知らなくても、実際、生きていけてしまいますよね。
私も、長男が発達障害と診断され、実際に幼稚園や学校生活を送っていく中で、改めて学校教育について考えされられる機会が多々ありました。
学校って何なんだろう、何のために行くんだろうと、わかりきったことかもしれませんがその根本を考え、信念を確率していかなければ、長男の学校生活をサポートできませんでした。
今回は、発達障害児を持つ母親として、学校教育に対し私が疑問に思ったこと、考えてきたことをお話ししたいと思います。

担任の役割

幼稚園は遊びながら学ぶことが基本なので、遊びが多い幼稚園では発達障害でもさほど困りごとは多くないと思います。
自由に行動しすぎたり、お友達とのトラブルや行事に参加しないなど細かいことはありますが、低年齢のために許されてしまう部分がありますよね。
それが小学校に入ると一気に許されなくなってきます。
一定時間、椅子に座っていなければいけなかったり、集団行動できないといけなかったり、勝手な行動も許されない。
授業の流れに沿って、決められたことを決められた時間内でやらなければいけないし、行事にも基本的には参加しなくてはいけない。
道徳や学級会のような、答えが決まっていない話し合いメインの授業も入ってきますし、給食当番、係り活動、掃除、校外授業、など全てをこなすのは結構大変なことです。
学校生活の中で、発達障害児が一番困るのは、担任の力量に左右されてしまうところだと思います。
特に年齢が低い程、影響の差があると思います。
理解のある担任で、子供がわかりやすい声掛けや配慮が自然に出来て、子供がはみ出てしまわないようなクラスづくりが出来、親ともしっかりとコミュニケーションを取る。
そんな理想的な先生はなかなかいません。
長男は運よく、幼稚園で1年、学校で1・2・4年の担任が理想的な先生でした。
そして幼稚園1年、学校3年の担任が全く理解のない担任でした。
天と地ほども違う担任を経験し、教育以前に学校生活の基盤は担任にあると確信しました。
学校で、みんな横並びに同じ行動をし、同じ考えをするわけではないのですから、その1人1人の個性と特性を先生がいかに理解するのか、違うということを受け入れるのか、みんなと同じ方法を強要しないのかがとても重要になってくると思います。
1人1人の考えた方の違いを、授業を始めとしたいろんな場面で受け入れていくことで、子供達も、違うことが当たり前で、違っていていいのだと自分の主張を出せるような教育をしていってもらいたいと思います。
出来ない、ではない、その根本にある見え方考え方感じ方の違い、その程度の差が大きく開いていて統合がうまくとれずに困ってしまうのが発達障害なので、統合をとらせようとするのではなく、統合がとれていない状態を受け入れ、認め、今何ができるのか、何をしたらいいのかを一緒に考えてくれるような担任であれば、発達障害であっても学校生活はやっていけると思うのです。
担任の先生は3・40人近くの子を1人で見ていかなければいけないので、とても大変だとは思いますが、それができるのも担任ならではのお仕事だと思います。
まずは、生まれてきてから初めての大きな社会での生活が、「できない」ではなく、「できる」と感じてもらえるような、親以外で信頼できるような最初の大人が「先生」になってくれたら、とてもうれしいです。

まんべんなく出来ないから適材適所で助け合える社会になる

私が子供を学校に行かせている一番の理由は、他人とのコミュニケーションを経験させるためです。
同年代、上下5年の歳の差がある子供同士のコミュニケーションは小学校時代にしかないことです。
社会にでれば、「仕事」という枠でくくられ、ある程度個性も固まった人同士が顔色を見ながらうまく折り合いをつけて生きていく。
ぶつからないように、ある意味割り切って、あきらめを持って生きていく。
しかし子供のうちは、まだそんな固定観念もなく、ケンカをし、共に喜びバカもできる。
そういう仲間は、学校のような子供にとっての大きな社会でしか経験が出来ず、家にいて親と2人で勉強をしていれば、経験できないのです。
子供同士で考え協力し合い、人と違うということを認識していく大事な時期なので、できれば学校に行ってほしい。
勉強ではなく、最初の社会経験として、親の見ていないところで人との関わりを経験出来たらと思って学校に行かせています。
勉強だけなら家でもできる。塾もある。今の時代はネットがあるので、いくらでも1人で勉強できてしまうのですが、人との関わり合いは家ではできません。
いい思いばかりではないでしょうし、子供社会だからこそ残酷な目に遭うかもしれません。
しかし自分のことも他人のことも知る、いいきっかけにはなると思います。
ともすれば、自閉傾向が強ければ、他人という存在にすら気づきにくい場合も出てきますし、世の中に自分とは違う感覚を持ち、違う考えが存在することにすら気づかないかもしれない。
逆に友達に助けられ、先生に助けられ、仲間が出来、人との関わりが逆境を乗り越える支えになる場合もあるでしょう。
いいも悪いも経験してみなければわかりませんし、経験してみた上でどちらを選ぶのかを選択してもいいと思うのです。
周りの人達が発達障害である人を受け入れ認めていくのと同じように、発達障害の人もまた、周りの人達の個性や特性を受け入れ、認めていくことができるのが社会であり、その最初の段階が学校であると思っています。
それが成長した時に、地球上での人としてどう生きていくのか、何の役割を担っていくのか、排除するのではなく活かして助け合っていける社会を作っていけるのではないかと思っています。

ABOUTこの記事をかいた人

2人の男の子を育てている主婦です。(現在小4と小1) 長男が発達障害のため、ちょっと変わった子育てをしています。 今年から次男が小学校に入ったので、少しずつ自分の時間が持てるようになりました。 そんな私のちょっと変わった子育てのお話を紹介致します。