【発達障害者への接し方】理解をするという事の意味

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私の周りには、長男を含め、大人の発達障害の人が何人もいます。表現はあまり良くないのかもしれませんが、接しているとやはり少し違和感があります。何気なく言った一言がとても刺さってくる言い方だったり、とっさにとった対応が全然違う事だったり、本当にマイナスから説明しないと何も動けなかったり。人それぞれ違うのですが、大人の場合は特に自覚していない事が多く、気づいたこちら側も直接指摘するわけにもいかず、対応に困ってしまいます。

必要な配慮とは

私はよく、長男の事でいろんな方に配慮を求めます。発達障害を理解していただく事を極力大前提と考え(そうあって欲しいという願いから、先生という立場の方には理解していただかないと困るという風に話を持っていきます)、必要な配慮を求めるのです。
例えば、「大きな音がいきなり鳴るのが苦手」という場合、運動会の雷管の音が長男は本当に苦手で、びっくりして止まってしまうのです。学校に入った時、1年生の時の担任が、事前に何度か練習をしてくれました。練習の時に、「もう少しで大きな音が鳴るよ、鳴ったら思い切り走るんだよ。」と何度も繰り返し教えてくれたので、運動会の本番では、雷管の音と共に走る事が出来ました。
また、ノートのマス目の中に字を書くことが難しく(視覚的な問題と指先の不器用さの問題)学年が上がっていくにつれ、小さくなっていくマス目がとても長男を疲れさせました。この件は、担任の理解により、4年生でも1年生で使うマス目の大きなノートや自由帳を使わせてもらい、調子がいい時はみんなと同じマス目のノートを使う、というように、ノート選びを自由にさせてくれました。
また、目の筋力が弱く、行を通して読むことが難しい長男のために、教科書の音読を当てない事や、辞書を引く時は、みんなが調べた頃に何ページかを先生が聞き、みんなが「何ページ!」と答えるような声掛けをし、長男が細かい字を探せなくても辞書が引けるような工夫をしてくれたおかげで、授業中に自分だけ何かの作業が出来ない、という事はありませんでした。

配慮の意味をわかっていないと

理解のある先生は、自然な感じでこのような配慮をしてくれるので、特に長男に困り事がある事が目立つ事はありません。しかし、理解がない、正確に言えば、わかっているつもりだけどわかっていない先生の場合、「なんで教科書が読めないの?」とか、「教科書の何ページを読んでプリントをまとめなさい。」という課題を出し、読めない長男の所にきて、ここを読むんだよ、ここだよ、と何度も言っていました。読む場所がわからないのではなく、「文を続けて読むことが難しいんです、文を読めても理解は出来ないんです」、と何度伝えてもわかってはもらえませんでした。長男が困り果てていると、隣の子が見かねて声に出して読んでくれ、明らかに長男は文が読めませんという事が目立ってしまいます。発達障害である事を隠しているわけではないのですが、学校生活の中での出来ない事は、ちょっとした事がきっかけで、ひやかしの原因になり、そこから自信を無くしていってしまうきっかけになってしまうと思うのです。

わからない事は仕方がないと割り切る

発達障害の人と接する時に気を付けなければいけない事、気を付けたい事、それは結局は配慮する事が一番先にくると思うのですが、まず、発達障害である事の理解がある人とない人の差がとてもあると感じます。
当事者と関係があれば、周りで接する人にもそれなに知識や経験があるため理解できる事もありますが、理解しようと当事者を全面的に受け入れる姿勢があるかのかどうか、または他人事になってしまっているのか、の違いなのかもしれません。しかし、理解出来ない人には理解できない、そこを理解してほしいと何度お願いしても無理なものは無理なのだと知りました。わからないものはわからない。そうなのか、と思ってもピンと来ないのでしょう。
発達障害の人がどういう事に困るのか、神経回路が違うから物事をいろんな方向に考えられないとどうなっていくのか、曖昧な表現や「察してね」という事が通用しないとはどういう事なのか、一番困っているのは当事者なので、周りが通訳するべき事は何なのか、本当にこれは難しい問題なのかもしれません。「そっか、大変だね。」と理解したつもりの大人の世界でも、やはり発達障害の人の対応にはいちいちイライラしてしまうようです。

発達障害の人への接し方

とはいえ、発達障害も社会の中でかなり認知されるように変わってきたと思います。今では、当事者の方が書いた本を含め、関係者の方が書いた本やネットでの情報がたくさん出ています。おそらく、発達障害の人に何かを教える立場、または毎日関わる立場にならないと、接し方について知ろうとする事はないでしょう。健常者が多い世の中、少数派の事を知らずとも十分に生きていけますから。
私は長男を含め、発達障害であろう人との良き通訳者になれるよう、通訳の仕方を関わる人達に少しずつ伝えられたらいいかなと思っています。そして、発達障害である人達が、私は「発達障害です」とカミングアウトしても、偏見の目を持たず、イライラされる事なく、理解される世の中に変わっていってくれたら、と願っています。

ABOUTこの記事をかいた人

2人の男の子を育てている主婦です。(現在小4と小1) 長男が発達障害のため、ちょっと変わった子育てをしています。 今年から次男が小学校に入ったので、少しずつ自分の時間が持てるようになりました。 そんな私のちょっと変わった子育てのお話を紹介致します。