次男が大学生になり、東京で1人暮らしをするようになって早3年。
私はその暮らしの中でも、次男への仕送りは親として当たり前と思っています。
けれど旦那は、学生時代から東京暮らしが長く、学生の一人暮らしというと若かった頃の自分が基準のようで、仕送りは最低限で構わないと思っているようです。
意外と厳しく育てられた旦那。
自分の出来るところまでやってみて、ついに全てが底をつきたら連絡するように……と、自分と同じ道を息子に強要?しているわけです。
母という立ち場の私とは考えが多少違っていて、毎回仕送りという時になると旦那との対立が起きてしまうのですが、父親と母親ではちょっと考え方が違うのでしょうか。
効率化と愛情の押し売り
旦那の場合、ついにやって来た仕送り要請のSOSに対して、実に効率化を図りながらの対応をします。
次男は律儀に資金提供者である旦那に連絡をよこします。連絡を受けた旦那は店舗に行くわけでもなく、パソコンの前に座ると、ロハコなどのネットショッピングで早速物品選択を始めます。
これなら時短できてお得な商品やクーポンもある、しかも荷物を持ち込む労力も要らない!今や当たり前のシステム!
と旦那は力説するのです。
さて、私の場合は回り道をしたがるタイプ。
仕送り品のチョイスも店舗にわざわざ出向き、次男の生活や喜ぶ顔なんていうのを想像しながら、ルンルンで選びたいわけです。
しかも、食品はなるべく体に良いもの、少々難しくても何とかバランスよく食事して欲しい……と頭を悩ますのも何だか楽しい。
ただ、きっとこれって旦那に言わせると、やってあげたいだけの愛情の押し売りなんだろうな……と思うのです。
仕送り品のチョイスすら食い違う
次男が発信する仕送り要請の時は、だいたいお米がなくなった時です。
ですから旦那の場合、お米を最初に選択すると、パソコンのボタンを押して更に他の品物を選びます。
仕送り品の内容は、お米の他にカップ麺やインスタントものがほとんど。やはり相手にとっても効率よく手間ひまかからないものが中心です。
しかし、母親としてはちょっと考え方は複雑です。
とにかく効率なんかより、自分の子供の体のことを第一に考えてしまう。
だから選ぶ食品も、ついついその素材や内容について確認したり、バランスを気にしたり、ひとつのものでも品定めは慎重です。
それでも当の本人は?
次男はこの二つのパターンで仕送を受け取っているわけですが、「どちらも有り難いよ!」と言ってくれます。
この一言は単純かつ複雑な、それでも子供を思う独りよがりかも知れない親の気持ちを、一瞬で報いてくれます。
結局夫婦の仕送りバトルも、それを受け取る子供も、実は荷物を通してコミュニケーションを取りながら、お互いを忖度しあっているのかも知れません。