発達障害の偉人たち

偉人と呼ばれている人達の中には、発達障害ではないかと言われている人がとても多いですね。有名なところでは、エジソン、アインシュタイン、織田信長、坂本竜馬、ゴッホ、モーツアルト・・・と結構たくさんの名前があがります。どの人も偉業を成し遂げた天才と呼ばれている人ばかりです。

天才達の子供時代

偉業を成し遂げてきた偉人の人達ですが、最初から偉業を成し遂げていたわけではありません。しかし、その特性は子供時代から見られ、少なくとも苦しんでいた部分はあったと言われています。失読症などの学習障害・アスペルガー・自閉症・ADHD・てんかん、など様々な特性があり、生涯、苦しんだ人もいれば対応策を考えて別の方法で生きてきた、など、少なくとも順風満帆だったわけではないわけです。
対人関係に苦しみ、感覚過敏に苦しみ、こだわりに苦しみ、読めない事に苦しみ。
今のように発達障害に理解がある時代ではありませんから、周りからは、変な人、という目で見られ、理解されなかった部分が多々あったでしょう。
しかし側で誰かが背中を押してくれて、自分の得意分野で活躍できたのだと思います・

世界を変えてきた偉人達

先ほど例に挙げた偉人達だけでも、世の中を大きく大きく変えていった人達です。他にも偉人と呼ばれている人達はたくさんいるので、その人達も同じように何かしらの特性に苦しんでいたのかもしれません。
特性があったからこそ出来たことが大きく世の中を変えてきた。これは深く考えていきたいテーマだと思います。現在、発達障害の特性に困っている人達、支えている周りの人達はその特性をなんとかして今の現代に適応させようとしていませんか?才能を平らにしてしまっているのかもしれない、と考えた事はありませんか?
もし、その特性が突き動かす興味のままに動いたら、偉人達の例のように先々、偉業と呼ばれるものになっていくのかもしれません。発達障害の当人達が「見たい」「聞きたい」「知りたい」「やってみたい」と思うことは、ものすごい大発明につながるのかもしれません。
その可能性は無きにしも非ず、可能性はゼロではないのですよね。

現実との穴埋め

とは言え、現実問題として、実現するには数々の妨げがあるのも事実です。
興味の赴くままのことを好きなだけやらせていたら、本当に一日中でもずっと好きなことだけをやってしまい、学生のうちは登校や勉強があり、社会のルールやマナーもあります。みんな仲良く元気よく、人を思いやる心を忘れずに、自分の夢を叶えていきましょう。という風潮の世の中で、特性を持ち合わせた人達がどう生きていくのか。とても簡単には解決できるものではありませんよね。
私も長男を育てながら、本当は好きなだけ好きなことをさせてあげたい、と思いながら、突然突拍子もなく思いつく長男のやってみたいを、全ては許してあげることができません。
学校にも行かせていますし、勉強もさせています。読字障碍なのに宿題の音読もしていますし、小さいマスのノートに字を書かせています。お手本を写すたびに違う漢字に変わっていってしまうのに、漢字練習もさせています。
すべてをやめたら、エジソンのような発明をするのかもしれない。と、長男の発想や行動力を見ていると割と本気で信じてしまう自分がいます。なのに、みんなと同じように学校に行かせている。私も長男の才能を平らにしているのかもしれません。
今の現代社会で生きていかなければいけない長男の困り感を、才能でどう穴埋めできるのか、穴埋めではなく、タケノコのようにどんどん伸びていくことは難しいのか。学校も何もない山の中で、自由に暮らせることが一番いいのかもしれない、という様々な矛盾とともに、今日も生きています。

ABOUTこの記事をかいた人

2人の男の子を育てている主婦です。(現在小4と小1) 長男が発達障害のため、ちょっと変わった子育てをしています。 今年から次男が小学校に入ったので、少しずつ自分の時間が持てるようになりました。 そんな私のちょっと変わった子育てのお話を紹介致します。