考え方は人の数だけある
子どもの誕生は、親は勿論、おじいちゃんおばあちゃんを始め親戚の方にも無条件で嬉しいものです。
生まれた時の出産祝いから、お食い初め、七五三、入学や卒業に至るまで事ある度にお祝いをくださる方は多いと思います。
そして、現代では定例化している「お年玉」も、殆どの方がくださいます。
「いつも良くしてもらっているのに、お年玉までいただいてもいいのだろうか?」と思う方もいれば、「親である自分たちも子どもにお年玉をあげなくては。気付かなかった。」と、目が覚めたように感じる方もいらっしゃるでしょう。
自分の子どもへのお年玉については、考え方は人の数だけあり、どれが正しいとは言えません。
自分の生き方、考え方に合った「お年玉」を考えてみましょう。
お年玉とは何か?
お年玉は、本来お金ではなくお餅でした。
新年の年神様が宿るのが、その家にお供えされている鏡餅です。
鏡餅の餅玉には新年の福と共に新しい年神様の魂が宿るので、「年魂(としだま)」と呼ばれます。
その餅玉は家長から家族に、主人から使用人に、というように目上の者から下の者に「御年魂(または御年玉)として分け与えられました。
時代と共にお餅の代わりに金品を与える風潮が出てきましたが、昭和の高度成長期以降、お金が主流になり、子どもに渡すという現代お馴染みのスタイルになってきたようです。
目上の者から下の者へ渡す、という意味では自分の子どもにお年玉をあげてもいいように思えますが、本来は年神様が宿るお餅だったという事を考えると安易にお金を与えるのは考えものです。
子どもにとっては「何もしなくても、毎年もらえるお金」になっていくことは必然で、教育上よろしくない面もあります。
お年玉のあり方を、見直してみる
自分の子どもにお年玉をあげることは、簡単です。
ただ「お正月だから」という理由だけでお年玉をあげると、「臨時収入」的な意味合いが濃くなるのでは、と筆者は危惧します。
実際に周りのお子さんたちは「お年玉で新しいゲームソフトを買う。」「欲しかった洋服を買う。」など、大人顔負けのお金の使い方をしています。
お金があれば、お金さえあれば、何でも買える、何でも出来ると考えがちなこの現代。
ここは本来あるべき姿に戻って「お年玉の成り立ちを子どもにきちんと説明し、これからはうちのお年玉はお餅にしよう。」とするのもいいのではないでしょうか。
それが日本の文化や年中行事への関心と興味に広がっていけば、親子で新たな会話が弾むかもしれません。
おじいちゃんおばあちゃん、親戚の方からいただくお年玉はありがたく頂戴して一部貯金するなどお金の使い方を教える。
そして親である私たちは、お年玉本来の意味を伝えた上で、オリジナルのお年玉を考えてみてもいいですね。